
【5分で解説】ピッチ上の王様、鎌田大地ってどんな選手?鎌田選手の学生時代も含めた経歴を解説

【5分で解説】ピッチ上の王様 鎌田大地ってどんな選手?鎌田選手の学生時代も含めた経歴を解説
今回は日本代表の中心選手で現在イングランドプレミアリーグのクリスタルパレスに所属する鎌田大地選手について調査しました!
昨年はプレミアリーグ初挑戦となった鎌田選手は出場機会を思うように伸ばせなかったのですが、2年目となった今年は開幕から出場機会を確保し、チームに欠かせない選手となっています。
今回は鎌田選手について、改めて学生時代の経歴やエピソードについて調査しましたので紹介します!
鎌田大地選手のプロフィール
まずは選手のプロフィールをまとめてみました。
情報は2025年10月現在のものとなりますのでご注意ください。
- 名前:鎌田 大地(かまだ だいち)/Kamada Daichi
- 生年月日:1996年8月5日
- 出身地:愛媛県
- 現所属:クリスタルパレス(イングランド1部)
- ポジション:ミッドフィルダー(MF)
- 身長、体重:184cm、76kg
- 利き足:右
- 着用スパイク:Nike Phantom GX 2
鎌田選手は愛媛県出身でプロサッカー選手です。
鎌田選手といえば飄々とした見た目で、試合中はあまり感情を表に出しません。
飄々とした見た目は時にやる気がないと批判されることもありますが、鎌田選手のポジショニングやパスセンスは他の選手にはない武器です。
まずはそんな鎌田選手の着用スパイクを見てみましょう。
鎌田大地選手の着用スパイク
鎌田選手の着用スパイクはNIKEファントム6です。(画像6枚目参照)
鎌田選手は長年NIKEのファントムシリーズを着用しているようです。
気になる方は是非商品ページをご覧ください!
鎌田大地選手の経歴について
鎌田大地選手の経歴をまとめました。
- 小学校:キッズFC(伊予市立伊予小学校)
- 中学校:ガンバ大阪ジュニアユース(岸和田市立北中学校)
- 高校:東山高校
- 2015-2017:サガン鳥栖(Jリーグ🇯🇵)
- 2017-2018:フランクフルト(ブンデスリーガ🇩🇪)
- 2018-2019:シントトロイデン(ベルギーリーグ🇧🇪)
- 2019-2023:フランクフルト(ブンデスリーガ🇩🇪)
- 2023-2024:ラツィオ(セリエA🇮🇹)
- 2024-現在:クリスタルパレス(プレミアリーグ🏴)
鎌田選手はガンバジュニアユースや東山高校出身なので出身地も関西と思われがちですが、実は愛媛県出身です。
愛媛県のサッカー選手といえば長友佑都選手が有名ですね。
そんな鎌田選手がなぜ愛媛県からガンバ大阪ジュニアユースに渡ったのか気になる方も多いと思いますので、小中高とどんな経歴なのか詳しく見ていきましょう。
鎌田大地選手の小学校時代について
鎌田選手の小学校は伊予市立伊予小学校です。
〒799-3103 愛媛県伊予市上野2270
鎌田選手の小学校のサッカーチームはキッズFCです。(現在はゼブラキッズFCに名前を変えています。)
これはサガン鳥栖に入団が決定した際のクラブ公式HPより確認することができます。
鎌田選手がサッカーを始めたのは3歳のようです。その後、小学校入学後よりキッズFCに入団しました。
鎌田選手は小学5年時に一学年上のナショナルトレセンU-12四国に選出され、キャプテンだった小学6年時には、愛媛県少年サッカー選手権大会で優勝しています。
鎌田選手の父は大阪体育大学でサッカーをしていたこともあり、幼少期からサッカーがある環境が当たり前でした。
鎌田選手の母も毎試合ビデオで撮影し、家に帰ってみんなで見返していたようです。
家族の協力もあり、順調に頭角を表していた鎌田選手ですが、JFAアカデミー福島のセレクションに落選しました。
チームの練習では気丈に振る舞っていたようですが、当時の家での様子を5歳下の弟・大夢さん(現ベガルタ仙台)はこう話しています。
家ではめちゃくちゃ泣いていた。兄が落ちたのは衝撃だった。
スポーツ報知記事より引用
その後、鎌田選手は誘いのあったガンバ大阪ジュニアユースへの入団を選択することになりました。
ナショナルトレセンに選出され、経歴だけ見るとエリートの鎌田選手ですが、セレクションに落選したりと挫折も味わっていたんですね。
鎌田大地選手の中学校時代について
鎌田選手の中学校は岸和田市立北中学校です。
〒596-0005 大阪府岸和田市春木旭町33−1
鎌田選手の中学時代はガンバ大阪ジュニアユースに入団しました。
これはサガン鳥栖に入団が決定した際のクラブ公式HPより確認することができます。
鎌田選手は一人で実家の愛媛県から大阪府岸和田市の祖母の家へ移住し、学校が終わると1時間以上かけて練習へ行く毎日を過ごしたようです。
最初の頃は新しい環境に馴染むのに苦労したようです。
さらにサッカーの方では1年生の頃に腕の骨折、3年生の頃には腰の骨を骨折するなど怪我に悩まされました。
さらに入団時に150cmだった身長は3年間で175cmまで成長しました。
その影響で身長に対して、関節や筋肉の成長が追いつかず、思うようにプレーできない日々が続いていたようです。
そんな鎌田選手の試合を見ていた鎌田選手の父は当時をこう振り返っています。
当時、週末はいつも車で大地の試合を見に行っていました。どうしても大地の動きがスローモーションに見えます。ある試合で前半途中に交代を命じられ、監督に「今から下のチームに行け」と言われました。会場の堺市から(チームの本拠地の)万博公園まで送る車の中で、大地は「俺の体はいつになったら動くんや」と涙を流しました。
産経新聞記事より引用
そんな中でも鎌田選手は熱心に練習に取り組んでいたようです。
そんな中で進学に関しては高体連のチームを考えており、高体連に行けば、多くのJリーグクラブに見てもらえるため、プロへの上がり方をそっちに変えた方がいいと考えるようになりました。
結果的にはガンバユースの昇格はできず、京都の東山高校への進学を決めます。
中学時代から実家を離れ、プロを目指す選択することに、鎌田選手のプロになりたいという強い気持ちを感じます。
鎌田大地選手の高校時代について
鎌田選手の高校は東山高校です。
〒606-8445 京都府京都市左京区永観堂町51
東山高校の福重良一監督は鎌田選手の父が大阪体育大学サッカー部時代の一つ下の後輩というつながりがあったようです。
東山高校での3年間は自分に向けていた矢印を仲間に向けることができた期間になったようです。
鎌田選手の仲間思いのエピソードとして鎌田選手の父が振り返っています。
1年生でレギュラーになり、迎えた高校選手権京都府大会の決勝。至近距離のシュートを外し、1点差で敗れました。責められると思ってロッカー室に戻ると、引退する3年生が「お前が引っ張っていけ」と声をかけてくれたそうです。大地はその日のうちに頭を丸刈りにしていました。そういうタイプには見られないのですが、気持ちの表れだったと思います。主将も志願して就任しました。卒業のとき、話したことのないサッカー部の保護者に「(息子は)部をやめようとしていたけど、大地君が『一緒に頑張ろう』と言ってくれたので、最後までできました」と言われました。すごくうれしかったですね。
産経新聞記事より引用
鎌田選手はサッカーの方でも結果を残します。
高校2年生の時にはプリンスリーグ関西1部で18試合22得点で得点王に輝きました。
去年のプレミアリーグWESTでのヴィッセル神戸U-18vs東山高校のときの現サガン鳥栖でブレイク中の鎌田大地選手です!
— ゆきのぶ (@YUKINo5252) July 12, 2015
因みにヴィッセルの選手は現大阪産業大学の加古晴也選手、現関西大学の中井英人選手、現関西学院大学の藤本裕豪選手です! pic.twitter.com/72kYQLepDS
注目選手21
— 高校サッカーbot (@koukousoccer23) May 18, 2014
東山高校 鎌田 大地 pic.twitter.com/N9lr3l7lJ0
さらにチームはプレミアリーグ参入戦を勝ち抜き、2年時には高校年代で日本最高峰のプレミアリーグへの昇格を決めます。
プレミアリーグでチームは最下位となりますが、鎌田選手はキャプテンを務め、18試合で10得点と4位タイのゴール数を記録しました。
この活躍もあり、サガン鳥栖からオファーがあり、見事プロへの切符を手にすることができました。
鎌田選手をサガン鳥栖のスカウト担当していたた牛島真諭スカウト(現鹿島アントラーズスカウト)が当時のエピソードを振り返っています。(動画2:31から)
やる気がないと判断されましたが、最終的には鎌田選手のプレーに惚れていた牛島スカウトがチームに強く推薦したおかげでサガン鳥栖の内定を決めることができました。
イメージは無いかもしれませんが、鎌田選手は3年時にキャプテンを経験しています。高校では誰もが認める結果を出した鎌田選手。しかし、その飄々としたプレーから評価が分かれるタイプの選手ですが、牛島スカウトとの出会いなど鎌田選手は人との出会いも味方につけている感じがしますね。
鎌田大地選手プロ加入後について
鎌田選手はサガン鳥栖に入団し、5月にはJ1リーグ初出場と初ゴールを記録しました。
【サガン鳥栖1-1松本山雅FC】同点ゴールを決めた鎌田大地選手の試合後会見動画 http://t.co/ZEJcvg9elQ #sagantosu pic.twitter.com/SoZzBQlkAD
— 佐賀新聞ニュース (@sagashimbun) May 11, 2015
鎌田選手の鳥栖時代のプレー集がYOUTUBEに掲載されています。
鎌田選手はサガン鳥栖での公式戦通算80試合出場し、16得点を記録をしました。
この活躍を認めら、その後ドイツのフランクフルトに移籍することとなりました。
フランクフルト移籍後は出場機会に恵まれず、翌年には出場機会を求め、ベルギーのシントトロイデンにレンタル移籍しました。
そこで結果を残した鎌田選手は再度フランクフルトへ戻ることとなりました。
復帰後にフランクフルトで鎌田選手は公式戦通算179試合40得点33アシストと大活躍を見せます。
その後、イタリアのラツィオに移籍し、現在はプレミアリーグに所属しているクリスタルパレスに移籍して、プレーしております。
まとめ
今回選手の学生時代について調べました。
鎌田大地選手のキャリアをたどると、表面上の「クールなプレースタイル」だけでは語れない努力と葛藤が見えてきます。
幼少期からサッカーに打ち込み、セレクションの落選や怪我といった壁を乗り越えながらも、自分の信じるプレーを貫いてきた選手です。
ガンバ大阪ジュニアユース時代の苦悩や、東山高校で仲間と支え合いながら成長した経験は、現在の冷静な判断力や精神的なタフさにつながっていると感じます。
プロ入り後も、鳥栖での飛躍、フランクフルトでの成功、そしてプレミアリーグ挑戦と、常に新しい環境で結果を残してきたのは、表情に出さない闘志の証拠でしょう。飄々として見えるその姿の裏には、負けず嫌いで自分を律する強さがあるわけです。
つまり鎌田選手は「才能で勝負する選手」ではなく、「環境を力に変える選手」と言えます。どんな状況でも自分を信じ、淡々と積み重ねていく姿勢は、多くの人に勇気を与えるものです。彼のプレーはこれからも、日本代表の中心としてだけでなく、若い世代にとっての生き方のモデルにもなっていくでしょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。









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