
【5分で解説】日本代表のエース上田綺世選手の経歴紹介!小学校、中学校、高校も含めた上田綺世選手の学生時代について解説

【5分で解説】日本代表のエース上田綺世選手の経歴紹介!小学校、中学校、高校も含めた上田綺世選手の学生時代について解説
今回は上田綺世選手についてご紹介します。
上田選手は現在オランダの名門フェイエノールトでプレーしており、日本代表としてもエースストライカーとしても活躍しています。
上田選手といえばパンチのある鋭いシュートに加えて、フィジカル能力を活かしたポストプレーやヘディングを得意としています。
今回はそんな上田選手の学生時代について深掘りして見ました。
ぜひ最後までお読みください!
上田綺世選手のプロフィール
まずは上田選手のプロフィールをまとめてみました。
情報は2025年9月現在となりますのでご注意ください。
- 名前:上田 綺世(ウエダ アヤセ)/Ueda Ayase
- 生年月日:1998年8月28日
- 出身地:茨城県水戸市
- 現所属:フェイエノールト・ロッテルダム
- ポジション:フォワード (FW)
- 身長、体重:182cm / 76kg
- 利き足:右
- 着用スパイク:NIKE ファントム6
上田選手は98年生まれで東京オリンピック世代と言われています。
この世代には堂安律選手や冨安健洋選手、田中碧選手など現在A代表で中心的に活躍している世代でもあります。

上田選手は鹿島アントラーズでプロデビューを果たし、現在はフェイエノールトでプレーしています。
そんな上田選手は2022年9月にモデルの由布 菜月(ゆふ なつき)さんと結婚しています。
由布さんはYouTubeチャンネルを運営しており、上田選手も時折出演しているため、オフの上田選手も見ることができるのでファン必見です!
次は上田選手の着用スパイクを見てみましょう。
上田綺世選手の着用スパイク
上田選手は現在NIKEのファントム6を着用しています。
気になる方は是非商品ページをご覧ください!
上田綺世選手の経歴について
日本代表でエースストライカーの上田選手ですが、どのようなキャリアを歩んできたか気になる方も多いのではないでしょうか。
そんな上田選手選手の経歴をまとめました。
- 小学校:吉田ケ丘サッカースポーツ少年団(水戸市立吉田小学校)
- 中学校:鹿島アントラーズノルテ(水戸市立第四中学校)
- 高校:鹿島学園高等学校
- 大学:法政大学
- 2019年〜2022年:鹿島アントラーズ
- 2022年〜2023年: サークルブルッヘ(ベルギー)
- 2023~:フェイエノールト(オランダ)
上田選手は中学校から鹿島アントラーズの下部組織に所属していましたが、鹿島学園高等学校を経て法政大学から鹿島アントラーズに入団となりました。
どのような経緯でサッカーを始め、プロまでの道を切り開いたのか詳しく見てみましょう。
上田綺世選手の小学校時代について
上田選手の小学校について残念ながら明記されているものは見つかりませんでした。
しかし、上田選手吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団に所属していたことから水戸市立吉田小学校の可能性が高いと思われます。
〒310-0836 茨城県水戸市元吉田町1757−1
上田選手は5歳の時に父親のサッカーの試合を見に行ったことがきっかけだったようです。
以下高校サッカー選手権時のゲキサカのインタビュー内容です。
上田がサッカーを始めたきっかけは、社会人チームでプレーしていた父・晃さんの存在だった。小学1年生時、サッカーをするか迷っていた上田は父親が所属するチームの試合を見に出かけた。そこで目にしたのは、ハットトリックを達成して歓喜する父と仲間たち。「点を取って喜んでいる父を見て、僕も嬉しかったんです。そうやって今度は僕が父を喜ばせたいなと」。6歳の少年はサッカーを始めることを決意した。
ゲキサカより引用https://web.gekisaka.jp/news/highschool/detail/?206762-206762-fl
このことがきっかけで上田選手は地元の吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団に入団します。
吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団は上田選手の父・晃(あきら)さんが指導者を務めるチームでした。
上田選手は小さい頃から「プロサッカー選手になりたい」という思いでサッカーをしていました。
その想いに応えるように父・晃さんと上田選手は厳しい練習を重ねたようです。
主にクロスを上げてもらい、ボレーシュートやヘディングの練習を繰り返し行なっていたようです。
上田選手のシュートの上手さはこの時に身についたのかも知れませんね。
【小話】上田選手の背番号へのこだわり
上田選手の父・晃(あきら)さんは元ドイツ代表のクリンスマンへの憧れがあり、18番の背番号を着用していました。
その父・晃(あきら)さんに憧れてサッカーを始めた上田選手も小さい頃から18番の背番号を選んでいたようです。
2025年10月の代表活動から上田選手は9番から18番への背番号変更がありました。
🔹𝗦𝗔𝗠𝗨𝗥𝗔𝗜 𝗕𝗟𝗨𝗘🔹
— サッカー日本代表 🇯🇵 (@jfa_samuraiblue) October 8, 2025
⚽️背番号発表⚽️
🏆キリンチャレンジカップ2025
𝗚𝗞
23 #早川友基 鹿島アントラーズ🇯🇵
12 #大迫敬介 サンフレッチェ広島🇯🇵
1 #鈴木彩艶 パルマ・カルチョ🇮🇹
𝗗𝗙
5 #長友佑都 FC東京🇯🇵
3 #谷口彰悟 シントトロイデンVV🇧🇪
4 #渡辺剛 フェイエノールト🇳🇱
16 #安藤智哉… pic.twitter.com/nscpVZkx8B
永遠の憧れである父の背番号でもある18番に変更した上田選手のこれからの活躍が楽しみですね!
上田綺世選手の中学校時代について
上田選手の中学校は水戸市立第四中学校になります。
〒310-0836 茨城県水戸市元吉田町1987−3
学校のHPでも上田選手の活躍が掲載されていました。
東京五輪での活躍に期待!
水戸市立第四中学校HPより引用https://www.magokoro.ed.jp/dai4-j/viewer/blog.html?id=2181
昨日発表された東京五輪サッカー男子日本代表に,本校を平成25年度に卒業した上田綺世(あやせ)選手が選出されました。本当におめでとうございます!
上田選手は,本校卒業後,鹿島学園高校から法政大学と,それぞれのカテゴリーにおいてエースストライカーとして注目され,大学在籍中にJ1の鹿島アントラーズに入団しました。現在もチームの柱として活躍されております。
今回のオリンピックは日本開催であるとともに,日本代表が予選リーグを突破し,準々決勝まで勝ち進むと県立カシマサッカースタジアムで,上田選手の雄姿を見ることができるかもしれません。
上田選手の東京五輪での大活躍を,水戸四中関係者一同,期待しております!!
サッカーの方では鹿島アントラーズノルテ※に所属します。
上田選手は中学校時代、身長が伸びず中々出場機会をつかむことはできなかったそうです。
ユース昇格を目標にしていた上田選手でしたが、鹿島アントラーズジュニアユースの3チームからユースへの昇格は15人ほどという狭き門を潜り抜けることは出来ませんでした。
しかし、そんな上田選手に目を付けていた人がいます。
それが高校時代の恩師でもある鹿島学園高等学校サッカー部監督の鈴木雅人監督でした。
鈴木監督は中学時代の上田選手のことを振り返っています。
「得点を取る」という意識は、周囲の選手たちと比べるとはるかに高いものがありました。そのなかで動き出しの鋭さ、右足、左足、ヘディングといった多彩なシュートパターン、そして得点することに対する自分なりの形を持っていたことが印象的でしたね。
REALSPORTS記事より引用https://real-sports.jp/page/articles/725602914885698716/
県外高校への進学も考えていた上田選手ですが、鈴木監督の熱心な誘いもあり鹿島学園高等学校に進学を決めます。
上田綺世選手の高校時代について
上田選手の高校は鹿島学園高等学校です。
〒314-0042 茨城県鹿嶋市田野辺141−9
上田選手は高校進学してからもやはり線が細く、目立った存在ではなかったようです。
しかし、「絶対にプロになる」という強い意思を持って練習に取り組んでいたようです。
上田選手は2年生の後半頃から急激に身長が伸び、スピードやパワーといった要素も一気に進化したことから同年代の選手ではなかなか上田選手を止めることは困難であったと言います。
鹿島学園の上田君 pic.twitter.com/B8A3EjbHdW
— 月光ながら (@gekko_nagara) June 4, 2019
そんな上田選手は茨城県1部リーグで当時歴代最高得点となる20試合、33得点という大記録を残しています。
高校3年時に出場した第95回全国高校サッカー選手権でも上田選手は2得点を決める活躍を見せました。
上田選手がこれだけゴールを決めることができたのは鈴木監督が繰り返し言っていたある言葉のお陰のようです。
「一瞬のシュートチャンスを逃さないように」
REALSPORTS記事より引用
この言葉を上田選手は大切にしており、今でも「勝負は一瞬」というフレーズを意識しているようです。
上田選手にはプロになる選択肢もあったようですが、両親と相談し、大学進学を決めました。
大学は関東1部リーグに所属する法政大学へ進学することとなります。
鈴木監督の指導と上田選手体格的な成長が合わさり、高校時代に才能が一気に開花したんですね。
上田綺世選手の大学時代〜プロ加入について
上田選手の大学は法政大学です。
〒102-8160 東京都千代田区富士見2丁目17−1
上田選手は長山一也監督の指導もあり、大学1年の頃から出場機会を掴みます。
1年時の関東大学サッカーリーグでは12ゴールを挙げ、その年の新人王にも輝きました。(2017年関東大学サッカーリーグ表彰者一覧)
2年時にも11ゴールの活躍でこの年は関東大学サッカーリーグのベストイレブンにも選出されました。(2018年関東大学サッカーリーグ表彰者一覧)
【6/1筑波大vs.法大@武蔵野陸】法大18.上田綺世くん(3年/鹿島学園)
— masa (@masa16masa) August 11, 2019
このキャプション使うのも、これで最後。でも私の中ではこれからも法政の上田綺世。 pic.twitter.com/n5IT3bFl3z
この活躍を認められ、翌年の2019年5月にはコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に初選出されました。
大学在籍中に日本代表に選出されるのは山村和也選手、永井謙佑選手らに次ぐ3人目の快挙となります。
さらに、同年7月23日に、上田の法政大学サッカー部退部と、鹿島アントラーズ加入が発表されました。
【お知らせ】#antlers #kashima 法政大学の上田 綺世選手(2年生)が2021年より加入することが内定しました!
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) February 12, 2019
上田選手のプロフィールなど、詳細は公式サイトで!:https://t.co/CEeWcaGqKF pic.twitter.com/ObnXHd9r5A
当初は大学卒業後の2021年の加入予定でしたが、鹿島アントラーズのチーム事情と法政大学の理解もあり、前倒しでの加入となりました。
2019年から2022年までの鹿島アントラーズ在籍中に在籍中に86試合に出場し、38ゴールの活躍を見せます。
その活躍を認められ、2022年にはベルギーのサークルブルッヘ、2023年にはオランダの名門フェイエノールトへのステップアップを果たしました。
まとめ
今回は上田綺世選手の学生時代について調べました。
高校までは決して目立った選手ではなかったですが、高校から大学、プロにかけてのステップアップはまさにシンデレラストーリーとも言えます。
そのチャンスを掴めたのは上田選手の「プロになりたい」という強い意志と「勝負は一瞬」という監督の言葉を信じて努力を続けてきたからこそだと思います。
2026年には北中米ワールドカップが開催され、上田選手はその中で日本代表のエースとしての活躍が期待されます。
これからも上田選手の活躍に注目していきたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。



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